「ほんとうのさいわい」につながる仕事

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「ほんとうのさいわい」の核心

今年、没後90年となる宮沢賢治は、「ほんとうのさいわい」を追求した作家・思想家です。彼の「仕事」に関する思想や実践に注目し、その生涯と作品をひも解きながら、「何のために、どんなふうに働けば、幸せな人生を送れるのか」を、代官山 蔦屋書店の人文コンシェルジュで、宮沢賢治研究家でもある岡田基生さんが探っていきます。

1.    「ほんとうのさいわい」を教える公園林

前回は「銀河鉄道の夜」第3次稿の読解によって、私たちは「実験」という方法と『法華経』という手がかりを得ました。しかし、「ほんとうのさいわい」を目指す方法と手がかりがわかったとしても、「ほんとうのさいわい」とは何かはいまだ明らかになっていません。


杉(Photo by Crusier

そこで道しるべとなるのが「虔十けんじゅう公園林」という童話です。この童話には「ほんとうのさいわい」の具体的な内容を考えるための、重大なヒントとなる箇所が含まれています。

簡単に童話の内容を確認しておきましょう。主人公の虔十は、知的に「少し足りない」ところがあると、みんなから馬鹿にされていました。そんな彼が自分の家の後ろにある野原に杉の苗を700本植えたいと、家族に申し出ます。その場所は底が固い粘土で、杉を植えても成長しない土地でした。

しかし、これまで何一つ頼んだことのない虔十の望みだと、父は苗を買ってやります。虔十はそこに規則正しく苗を植え、隣人の妨害にもめげず、一生懸命世話をしますが、9尺(約2.7m)ほどで成長が止まってしまいます。近所のお百姓さんの冗談に乗せられて、枝打ち(下の方の枝を落とすこと)をしたところ、上の方の枝3、4本ずつ残して後は払い落とすことになり、杉林は明るくがらんとしてしまいました。ところが、杉の列がどこを通っても並木道のように見える様子が子どもたちの興味を引き、その林は人気の遊び場となりました。虔十はそのことを喜んでいましたが、まもなく若くしてチフスで亡くなります。

虔十がいなくなっても杉林は遊び場としてみんなから愛され、やがて工場や製糸場が立ち、田畑が家になった後も残されることになりました。

そうして時が経ち、虔十が亡くなってから20年近くのある日、かつて杉林で遊び、いまはアメリカの大学で教授となった博士が母校での講演のため故郷に戻ります。そのとき、この林がまだ残っていることに感激して、「虔十公園林」と名づけて保存することを母校の校長先生に提案しました。そのアイデアはかなえられ、その場所に「虔十公園林」と彫った青い橄欖岩かんらんがんの碑が建てられました。

やがて、かつてその公園で遊び、今は立派な仕事に就いた人たちから、たくさんの手紙やお金が集まってくるようになり、虔十の家族は涙を流して喜んだといいます。

さて、この物語が「ほんとうのさいわい」の探究にとって決定的に重要なのは、以下の箇所があるからです。

 全く全くこの公園林の杉の黒い立派な緑、さはやかな匂、夏のすゞしい陰、月光色の芝生がこれから何千人の人たちに本当のさいはひが何だかを教へるか数へられませんでした。
そして林は虔十の居た時の通り雨が降ってはすき徹る冷たい雫をみじかい草にポタリポタリと落しお日さまが輝いては新らしい奇麗な空気をさはやかにはき出すのでした(注1)。

「公園林の杉の黒い立派な緑、さはやかな匂、夏のすゞしい陰、月光色の芝生が本当のさいはひが何だかを教へる」というのです。この一文は何を意味しているのでしょうか。

まず言えることは、公園林で体験できることが、「ほんとうのさいわい」のモデルケースになっているということです。そこでは、何を体験できるのでしょうか。

それはさしあたり「森林浴」でしょう。賢治の時代よりも「実験」を適用できる範囲が広くなっている現代の科学では、森林浴の効果に関する実証的研究がなされています。森林セラピー研究者の宮崎義文氏の『Shinrin-Yoku(森林浴)──心と体を癒す自然セラピー』によれば、森林浴の恩恵として(1)ナチュラルキラー細胞の増加による免疫機能の改善、(2)血圧の低下、(3)副交感神経活動の上昇によるリラックス状態の高まり、(4)交感神経系活動の低下によるストレス状態の軽減などが挙げられます。

この本によれば、このような効果が得られる背景として、(1)人類の700万年の歴史のうち、都市化した環境で過ごしてきたのは産業革命後の2~300年程度にすぎず、99.99パーセントは自然環境下で過ごしており、それに適応した体を持っていると考えられること、(2)それにもかかわらず、都市化した環境下では、多すぎる刺激や、高学歴志向、長時間労働などによる圧力により、交感神経が優位の状態になりやすいことが挙げられています。そして、自分と環境のリズムがシンクロナイズしていることが、森林浴によりストレスの軽減や快適感がもたらされることの要因なのではないかという仮説が提示されています。

宮崎氏の研究では、リラックス効果や快適感は、森林だけではなく、公園や屋内の植物、樹木由来の精油などによってももたらされることが明らかになっています。樹木由来の精油はそれぞれ効果が異なりますが、スギ材油はセキステルペンという化学物質を含み、この化学物質を含む精油は経験的に感情のバランスをとる効果があるとされています。虔十公園林は杉林ですが、賢治が杉に注目したのは、このような効果を体感的に知っていたためとも考えられます。

ここで宮崎氏の研究成果をまとめると、森林浴によって可能となる体験として、(1)免疫機能など、身体を維持する機能が回復すること、(2)交感神経系と副交感神経系のバランス、つまり、活動と休息のバランスが整うこと、(3)自然環境と人間の心身の間のリズムが同調することが挙げられるでしょう。

2.    万物との交歓的な関係

以上のことからわかるのは、私たちの心身の疲労や緊張をときほぐし、バランスを整える森林浴の効果を深く体験していたのが虔十だということです。それは彼が毎日林で過ごしていたからだけではありません。彼の自然の事象に対する態度が森林浴の効果を高めていると考えられます。じつはこの態度に「ほんとうのさいわい」を実現するヒントがあるのです。

雨の中の青い藪を見てはよろこんで目をパチパチさせ青ぞらをどこまでも翔けて行く鷹を見付けてははねあがって手をたゝいてみんなに知らせました。
けれどもあんまり子供らが虔十をばかにして笑ふものですから虔十はだんだん笑はないふりをするやうになりました。
風がどうと吹いてぶなの葉がチラチラ光るときなどは虔十はもううれしくてうれしくてひとりでに笑へて仕方ないのを、無理やり大きく口をあき、はあはあ息だけついてごまかしながらいつまでもいつまでもそのぶなの木を見上げて立ってゐるのでした。

虔十は、子どものような生き生きとした感性を持っています。雨の中の青い藪、どこまでも翔けていく鷹、チラチラ光るぶなの葉、そういったひとつひとつの事象を新鮮に受け取り、それに歓びを感じます。そして、その歓びを他の人たちと共有しようとします。新鮮に受け取ること、歓びを感じること、歓びを共有すること。それが、虔十が万物と関わる姿勢の基本なのです。このような万物と歓びを交わす感性は、前回取り上げた『法華経』が示す「一念三千」の世界観と響き合うものです。私の中にみんながいる、あなたの中に私がいるというように、一つの生命の中に万物が宿る宇宙だからこそ、万物と深く交歓することができるのであり、万物と交歓することによって、そんな宇宙の構造を深く実感することができるのです。

Photo by Molly Wright   

目の前の事象の生き生きとした姿に共鳴し歓びを感じること、同時にそこで感じた歓びを他の生命に伝えようとすること、それは童話の著者である賢治自身の基本態度でもありました。彼の教え子の瀬川哲男氏は、賢治についてこんなふうに証言しています。

ほうっ、ほほうというのはね、賢治先生の専売特許の感嘆詞でしたよ。どこでもかまわず、とつぜん声を出して、飛び上がるんです。
くるくる回りながら、足ばたばたさせて、はねまわりながら叫ぶんです。
喜びが湧いてくると、細胞がどうしようもなくなるのですね。身体がまるで軽くなって、もうすぐ飛んでいっちまいそうになるのですね(注2)。

この点では、賢治の特性が、虔十に投影されていると言えるでしょう。「兄妹像手帳」という名前で呼ばれる手帳に「Kenjü Miyazawa」という署名があります。そこから「虔十」が「賢治」のもじりだと考えることもできます。ただ、虔十は賢治の単純な自画像ではありません。両者は、自然と交歓するという側面では重なっていますが、対照的な側面もあります。それは、賢治が学校で最優秀者となるようなエリートであり、自意識が高いということです。これは「賢」と「虔」のコントラストとも言えるでしょう。この童話のひとつのテーマが「賢さ」にあることは、アメリカで教授となった若い博士の発言から読み取れます。

その虔十といふ人は少し足りないと私らは思ってゐたのです。いつでもはあはあ笑ってゐる人でした。毎日丁度この辺に立って私らの遊ぶのを見てゐたのです。この杉もみんなその人が植ゑたのださうです。あゝ全くたれがかしこくたれが賢くないかはわかりません。たゞどこまでも十力の作用は不思議です。

賢治はエリート意識が高い人物だったからこそ、何か偉業を成し遂げようという目的意識なしに、自分のフィーリングにしたがって生き、結果的に後の時代に貢献するものを築いた虔十を描くことで、自らのエリート意識を問い直していたのでしょう。人間には目的意識に向かって動くタイプと、その場のフィーリングにしたがって動くタイプがあり、どちらが優れているとか、どちらがより「ほんとうのさいわい」に近いかということではありませんが、一般に前者のタイプは後者のタイプを軽んじる傾向があります。この物語からは、そんな傾向への批判を読み取ることもできます。

3.    自然と人が織りなす協働

「虔十」の「十」という字にも、「ほんとうのさいわい」を考えるヒントが隠されています。先ほど引用した若い博士の発言の中に「たゞどこまでも十力の作用は不思議です」とありました。だから「虔十」の「十」は「十力」を表していると解釈することもできます。ここで博士は、誰の行いが後世に大きな貢献を果たすことになるのかは、同じ時代を生きる人間にはわからないが、のちに大きな価値を生むことになる仕事を支えるものとして「十力」の不思議なはたらきがあると考えているようです。

「十力」とは、もともと仏教用語で、仏がもつ衆生を悟りに導くための十の能力を指す言葉です。しかし賢治は独自の意味合いで使っているようです。童話「十力の金剛石」では「十力」が物語の核になるものとして登場しているので、そちらを参照しましょう。以下に引用するのは、この童話のクライマックスで、木も草も花も待ち望んでいた「十力の金剛石」が現れるシーンです。

その十力の金剛石こそは露でした。
ああ、そしてそして十力の金剛石は露ばかりではありませんでした。碧いそら、かがやく太陽、丘をかけて行く風、花のそのかんばしいはなびらや、しべ、草のしなやかなからだ、すべてこれをのせになう丘や野原、王子たちのびろうどの上着や涙にかがやく瞳、すべてすべて十力の金剛石でした。あの十力の大宝珠でした。あの十力の尊い舎利でした。あの十力とは誰でしょうか。私はやっとその名を聞いただけです。二人もまたその名をやっと聞いただけでした。けれどもこの蒼鷹のように若い二人がつつましく草の上にひざまずき指を膝に組んでいたことはなぜでしょうか。


Photo by Anthony

ここでの「十力の金剛石」は、雨の露だけではなく、自然界に満ちるすべての水を表しています。つまり、生命の根源である水は天と大地を循環するものであるため、「十力」とはすべての生命を活かし、自然を循環させる力を表していると言えるでしょう。また、「あの十力」というように擬人的に捉えられている点を見ると、「仏」を表していると考えることもできます。

しかし、そこでの「仏」はもともとの「十力」という言葉に見られるような、因果の理法を知り、衆生を悟りに導く指導者としての仏ではないでしょう。むしろ、自然界ないし宇宙全体を一つの関係の網として成立させる力のことだと考えられます。

「金剛石」、「大宝珠」、「舎利」といった表現はすべて仏教用語です。賢治はこれらの表現を自然の力の表現として活用することで、仏の力を、大地を潤し、草花を輝かせ、人々の心を癒し、豊かにする自然の力として理解しようとしているのでしょう。大乗仏教において仏の三つの側面を表す「三身説」でいえば、この描き方は、「応身」(衆生を救済するために現れる仏の姿)や「報身」(修行して仏となり、修行の果報を享受するさま)よりも、「法身」(真如そのものとしての仏)の面を強調しているとも捉えられます。

「虔十公園林」に戻ると、「たゞどこまでも十力の作用は不思議です」とあります。ここでの「十力の作用」も自然の力を表しているのでしょう。そのように読み解くと、「虔十」とは「つつしみぶかく」生きることで、「十力」とも表現される自然の大いなる力とつながり、それとともに働く存在ということもできるでしょう。このような特定の信仰を前提としないにもかかわらず、ある種の「畏れ」の感覚を醸成する自然観の中に、科学と宗教の対立を越えるものを読み込むこともできます。

以上に加えてこの童話を読み解く上で重要なことは、賢治が人間の手の入らない「大自然」を賛美しているわけではないことです。虔十の公園林はもともと木が生えない野原になんとか人の手で杉を植えたものです。これは賢治の憧れの場所であり、東北砕石工場技師時代には石灰を納品していた小岩井農場を思わせます。小岩井農場はもともと一面の荒地でしたが、火山灰地特有の強い酸性の土壌を石灰散布によって中和し、水はけの悪い湿地帯には暗渠を設置して排水を確保することで、作物の生育に適した環境に整備されていきました。人と自然が呼応し、ともに働きながら、新たな自然を生み出していく……。そのようにして生まれる自然を象徴するのが「虔十公園林」なのです。


小岩井農場

さらにそのような新たな自然が誰かの専有物ではなく、子どもたちが楽しく遊ぶことによって、結果的に豊かな感性と知性を育む場として公共的な役割を持っていることも重要です。「公園林」で遊ぶことは、光や風や動植物、他の子どもたちと喜びをともにすることです。そこでは、生命を肯定する姿勢と、活動と休息のバランスが形成されます。これはさしあたり、過去を分析し、目標を達成していくような活動ではありませんが、そのような活動を楽しく実現していくための基礎になるものでしょう。このような交歓のなかでの生命の肯定があらゆる活動の基礎であり、バランスが崩れたときに立ち返る原点となるのです。

自らもそのような体験をしながら、その体験を草花にも人々にも与える「公園林」をつくることは、「ほんとうのさいわい」につながる仕事のモデルケースとも言えるでしょう。そして、賢治の生涯と虔十の生涯を重ねて解釈するなら、賢治にとって「公園林」に当たるものは、彼の遺した作品群、あるいはそれが織りなす「イーハトーヴ」という世界なのではないでしょうか。「注文の多い料理店」の広告文で、賢治は、自らの心象を描いた童話が「田園の新鮮な産物」だと語っています。彼の作品自体が、営林や畑作と同じように、自然と人間の協同の産物なのです。

研究者に「雨ニモマケズ手帳」と呼ばれる賢治の手帳の中に、賢治の創作に関するスタンスを表明していると考えられる一節があります。

断ジテ
教化ノ考タルベカラズ!
タヾ〈正直ニ〉純真ニ
法楽スベシ。
タノム所オノレガ小才ニ
非レ。タヾ諸仏菩薩
ノ冥助ニヨレ。

『法華経』の教えを伝えること(「教化」)を目指すのではなく、この宇宙の生き生きとしたリアリティそのものを楽しむこと、つまり、万物との交わりを楽しむこと(「法楽」)から自然にあふれ出すような仕方で執筆すること、そしてその際、自分の力(「オノレガ小才」)ではなく「諸仏菩薩ノ冥助」に頼ることが表明されています。「諸仏菩薩ノ冥助」という表現は、一見すると仏や菩薩といった超人的な存在が人間を助けるというような神話的な説明にも見えます。

しかし、「十力の金剛石」を手がかりに読み解くなら、個を越えて、万物の関係性の網の中に働く力のことを指しているとも考えられます。さらに考えるなら、仏や菩薩というのは、万物の関係性の網の中に働く力を自覚し、そのような力を体現して働く者のことも表していると取ることもできるでしょう。そのような者が私たちのまわりにいることもあるでしょうし、私たち自身が「一念三千」の宇宙を生きるものとしてそのような存在になり得る可能性があるのです。

このような虔十の働き方には、この連載の探究テーマである「ほんとうの幸福につながるワークスタイル」の核心があるように思います。それは二つの意味で「ほんとうの幸福」につながっています。

一つは、働くなかで万物と歓びを交わしている点で、自分の「幸福」の土台を形成していることです。そしてもう一つは、そのように働くことで生み出すもの(杉林や作品群)が、他の生命が歓びを交わし合うことができる状態を生み出す点で、あらゆる生命の「幸福」の土台を形成していることです。

4.    公園林の豊かさ

今、私はこの文章を東京都目黒区にある駒場野公園で書いています。この公園は、東京教育大学農学部の跡地で、渋谷駅から2駅の場所とは思えないほど豊かな生態系があり、時にはカワセミやオニヤンマに出会うこともできます。


駒場野公園の池

 

私は、駒場東大前駅から徒歩数分のこの公園に足を踏み入れた途端、無数の鳥たちの鳴き声に圧倒され、『春と修羅』に収録された「小岩井農場」という詩の一節を思い出しました。

どうしたのだこの鳥の声は
なんといふたくさんの鳥だ
鳥の小学校にきたやうだ
雨のやうだし湧いてるやうだ
居る居る鳥がいつぱいにゐる
なんといふ数だ 鳴く鳴く鳴く
Rondo Capriccioso
ぎゆつくぎゆつくぎゆつくぎゆつく
あの木のしんにも一ぴきゐる
禁猟区のためだ 飛びあがる
(禁猟区のためでない ぎゆつくぎゆつく)
一ぴきでない ひとむれだ
十疋以上だ 弧をつくる
(ぎゆつく ぎゆつく)

少し歩いただけでも、ヒヨドリ、ムクドリ、シジュウカラ、オナガ、カルガモを目視できます。ときおり空を舞うエメラルド色のインコが目を引きます。調べてみると、ワケホンセイインコが野生化したものだといいます。


駒場野公園のベンチ

冬の正午近く、雲ひとつない空から陽光がふんわりと広がり、初冬の少しひんやりとした風が心地よく感じられます。まわりには鳥たちの大騒ぎだけでなく、木々のそよめき、子どもたちの歓声、BBQをする大人たちの笑い声など、楽しげな音が溢れています。何より空気が澄んでいて、木々の発する香りが漂っていて、あらゆる出来事に対して感性を解放することができました。風や光、生命のざわめきを全身で感じることで、深い解放感、安らぎ、この世界の不思議さに対する驚嘆の感覚が生まれ、さらには普段は見過ごしている自然現象に対する興味が湧いてきます。賢治が「さいわい」と呼んだものがどんな態度によって生じる状態だったのか、実感が湧いてきます。

この公園にある豊かさとは何なのでしょうか。この公園にあるものは、かつての日本には当たり前のように存在していたものかもしれません。お金を払って特別なサービスを受けているわけでもなく、特に知識や修業が必要なわけでもなく、ただ豊かな自然に囲まれている。それだけでこれほど満たされることに驚かされます。この場所を誰もが楽しく過ごせるための公園として作り、維持してきた、数えきれない人たちの想いや仕事があったからこそ、この豊かさを味わうことができるのです。そして、公園林がどれほど尊いか、そのことを感じ取るための心は、賢治が開いてくれたものです。

公園林がほんとうの幸せが何かを教えるということは、もちろん、そこにしかほんとうの幸せがないということではありません。こうして、公園林という場で、風と光と生命のざわめきに導かれながら、自分と世界の関係はどんなものなのか、自分が何に満足を感じるのか、それを見つめ直すことから、さまざまな生活の場面での幸福の下地となる、世界との関わり方、心と体の在り方が形作られるのではないでしょうか。

5    「田園の新鮮な産物」を分け合うこと

最後に、「ほんとうのさいわい」というキーワードが登場する作品である「虔十公園林」と「銀河鉄道の夜」の関係について考えてみましょう。「虔十公園林」が書かれた時期は賢治が農学校の教師だった1924年頃と推定されていますが(注3)、確証はありません。とはいえ「銀河鉄道の夜」が晩年まで推敲されていたことを考えると、少なくとも「虔十公園林」の方が先に完成していたことはたしかでしょう。そうすると、賢治が「虔十公園林」に書かれた内容を「銀河鉄道の夜」に反映しなかったのはなぜでしょうか。

それは、「ほんとうのさいわいとは何か」という問いを開いておくためだと思われます。第3次稿までにあったブルガニロ博士の存在そのものが最終稿で消されているのも、同じ理由によると思われます。「虔十公園林」に示されていることは重要なことですが、それはブルガニロ博士が目指している「メタ世界観」にまで至ることはできていません(連載第3回参照)。

『法華経』に導かれながら進んでいった賢治の探究はその途上で終わっています。それを次の世代に引き継ぐ上で、自分が教師として指導するのではなく、あくまで「銀河鉄道の世界」という冒険の場を開くことに徹し、あとは子どもたちに委ねる、それが賢治の晩年のスタンスだったのでしょう。冒険の場という点では、「公園林」とも似ています。賢治は教育を追求した上で子どもたちに委ねるという道を選んだと考えられますが、虔十は教育しようといった気持ちなど少しも持っていなかったでしょう。賢治と虔十はその点では対照的ですが、最終的に生み出したものは、子どもたちの自由に委ねる遊び場なのです。


Photo by Fumiaki Hayashi

「銀河鉄道の夜」の最後のバージョンには「ほんとうのさいわいとは何か」という問いだけがあり、それに対する答えはないように思えます。

しかし、あらためて「虔十公園林」を読み解いた後に「銀河鉄道の夜」を読み直してみると、賢治が意図していたかどうかはわかりませんが、そのなかに「ほんとうのさいわい」とは何かを示唆しているモチーフを見出すこともできます。それは「列車の中で苹果りんごを分け合って食べる」というものです。苹果は、人と自然の協同による新鮮な田園の産物です。それを分け合って食べることは、光、空気、水、大地から植物へと受け継がれたエネルギーを喜びながら分かち合うことです。なにげなくですが、かけがえのない場面のなかに「ほんとうのさいわい」を考えるヒントが、たしかにあるのです。

今回は「ほんとうのさいわい」の核心を扱いましたが、まだその全体的な構造を明らかにすることはできていません。次回は、「ポラーノの広場」を主な手がかりに、今ここにある「さいわい」と、未来に実現すべき「さいわい」の関係を考えます。

【注】
(1)本稿での賢治作品の引用は、『宮沢賢治全集』全10巻、筑摩書房、1986~1995年から行います。
(2)畑山 博『教師 宮沢賢治のしごと』小学館、2017年、116頁。
(3)「虔十公園林」の作品背景は、下記の論文に詳述されています。三浦修「宮沢賢治「虔十公園林」にみる農村景観と都市公園──作品背景としてのイーハトヴの風土と都市公園の略史」『総合政策』12-2、2011年。

【参考文献】
『宮沢賢治全集』全10巻、筑摩書房、1986~1995年。
『【新】校本宮澤賢治全集』筑摩書房、1995~2009年。
見田宗介『宮沢賢治 存在の祭りの中へ』岩波書店、2001年。
三浦修「宮沢賢治「虔十公園林」にみる農村景観と都市公園 : 作品背景としてのイーハトヴの風土と都市公園の略史」『総合政策』12-2、2011年。
澤田文男「宮澤賢治『虔十公園林』の文学性」『研究紀要』第62・63号、2015年。
畑山博『教師 宮沢賢治のしごと』小学館、2017年。
宮崎良文『Shinrin-Yoku(森林浴) 心と体を癒す自然セラピー』創元社、2018年。
平岡聡『大乗経典の誕生 仏伝の再解釈でよみがえるブッダ』筑摩書房、2015年。

 

(つづく)