「ほんとうのさいわい」につながる仕事

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特別な誰かの幸せとみんなの幸せとの対立を越えて

今年、没後90年となる宮沢賢治は、「ほんとうのさいわい」を追求した作家・思想家です。彼の「仕事」に関する思想や実践に注目し、その生涯と作品をひも解きながら、「何のために、どんなふうに働けば、幸せな人生を送れるのか」を探っていきます。

1 なぜ「ほんとうのさいわい」が問われるのか

前回は、どうしたら生き生きと楽しく働くことができるのかを考えるためには、私たちにとって何が本当に幸福なのかを知る必要があり、それを考えるヒントが宮沢賢治にあることを論じました。今回は、本当の幸福に対して、彼がどんなふうにアプローチしたのかを探っていきます。

まず基本的な点を確認しておきましょう。賢治の作品の多くは、本当の幸せをめぐる探究の一環として読むことができますが、「ほんとうのさいわい」やそれに類する表現は限られた作品にしか登場しません。詩では「宗谷挽歌」、「薤露青」、童話では「手紙 四」、「銀河鉄道の夜」、「虔十公園林」などです。

では、そもそもなぜ賢治は「ほんとうのさいわい」を問題にしているのでしょうか。「ほんとうのさいわい」は、単なる「さいわい」とは異なります。私たちは、例えばおいしいご飯を食べたり、好きな人と一緒にいたりすると、「幸せ」を感じます。それに対して賢治は、私たちが「幸せ」だと思っているものは、本当に幸せだと言えるのか、と問いかけます。

なぜ「本当なのか」と問うのか、それを探るヒントは、「学者アラムハラドの見た着物」という童話にあります。アラムハラドは自分の塾の教え子たちに「人がどうしてもしないでいられないことは何か」と問います。それに対して、最初の子どもは「歩いたり物を言ったりすること」と答えます。次の子どもは、それよりもさらにしないでいられないことは「いいことをすること」だと言います。アラムハラドは2人目の答えを「すべて人は善いこと、正しいことをこのむ」と言い換えています。そして、最後の子どもはさらに深い答えとして「ほんたうのいいことが何だかを考えないでいられない」と答えます。この答えをアラムハラドは「人はまことを求める。真理を求める。ほんたうの道を求めるのだ」という言葉で受け止めています。

ここでは、私たちの意欲の3つのレベルが示されていると言えるでしょう。1つ目が、秀でている力を発揮したいと思うレベル、2つ目が、そのような力を使いつつ、善や正義を実現したいと願うレベルです。そして3つ目が、自分の目指している善や正義が「本当にそう言えるのか」を追求するレベルです。「ほんとうのさいわい」は、この3つ目のレベルで問われていると言えます。今、現にある幸せや願いに対して、「本当にそれでよいのか」と問うこと、それは人間の本性に根差していると、賢治は考えているのでしょう。

2 カムパネルラの苦悩

このように人間には本当のものを求めて問う本性があるとして、そのことが私たちにとって「本当にいいことなのか」と問うこともできるでしょう。今の自分の幸せを大切にせず、まだ見つかっていない本当の幸せを求めて苦悩すると、かえって不幸になってしまうことはないでしょうか。たとえ「本当の幸福はこういうものだ」という理解に達したとしても、それに対して「本当にそうなのか」という疑問が生まれ、それに答えが得られてもまた「本当にそうなのか」と延々と問いを繰り返してしまうかもしれません。真理を追求する気持ちは不安と表裏一体であり、手放しに肯定できるものではありません。そこで、不安に駆られて何もかも疑うという事態に陥らないように、「銀河鉄道の夜」のカムパネルラの苦悩という具体的なケースを分析しながら、なぜ「ほんとうのさいわい」が問題になるのかを考えてみましょう。


天の川(Photo by Alessandro Caproni

 

「おっかさんは、ぼくをゆるして下さるだろうか。」
いきなり、カムパネルラが、思い切ったといふやうに、少しどもりながら、急きこんで云ひました。
ジョバンニは、
(あゝ、さうだ、ぼくのおっかさんは、あの遠い一つのちりのやうに見える橙いろの三角標のあたりにゐらっしゃって、いまぼくのことを考へてゐるんだった。)と思ひながら、ぼんやりしてだまってゐました。
「ぼくはおっかさんが、ほんたうに幸になるなら、どんなことでもする。けれども、いったいどんなことが、おっかさんのいちばんの幸なんだろう。」カムパネルラは、なんだか、泣きだしたいのを、一生けん命こらえてゐるやうでした。
「きみのおっかさんは、なんにもひどいことないぢゃないの。」ジョバンニはびっくりして叫びました。
「ぼくわからない。けれども、誰だって、ほんたうにいいことをしたら、いちばん幸なんだねえ。だから、おっかさんは、ぼくをゆるして下さると思ふ。」カムパネルラは、なにかほんたうに決心してゐるやうに見えました。

このシーンの前提を解説しましょう。「銀河鉄道」は基本的に死者が乗る列車であり、カムパネルラは川に落ちたクラスメイトのザネリを助けるために亡くなっています。しかし、ジョバンニはこの時点ではそのことを知りません。カムパネルラは、自らの死が母を悲しませてしまうことに深く心を痛めています。

ここでカムパネルラの母の本当の幸せが何なのかが問題になるのは、2つの要素が対立しているためです。1つは、自分の子どもが健やかに生きていること、もう1つは、自分の子どもがよいことを行うことです。この2つはカムパネルラが生きていれば両立できますが、よいことを行い亡くなったことによって、健やかに生きていることは不可能になってしまいました。それに、たとえ他者のために命を失うところまでいかなくても、両者は対立する場合があります。まさに賢治の生き方がその代表です。彼は、体を壊してしまうほどに「みんなの幸福」のために尽力している自分の生き方が、自分の親の幸せにつながるのか、と自らに問いかけていたのではないでしょうか。

カムパネルラがこの対立を乗り越えるために出した答えは、「誰だって、ほんたうにいいことをしたら、いちばん幸なんだねえ。だから、おっかさんは、ぼくをゆるして下さると思ふ」というものです。ただ単に健やかに生きることよりも、信念をもって善や正義を実現することが「ほんとうにいいこと」であり、それを実行することがカムパネルラの幸せなのです。つまり、カムパネルラの幸せを願う彼の母にとっても、彼が善や正義のために生きることが幸せとなるわけです。

ただし、このような答えを出して「決心」したとしても、物語の終盤では、「けれどもほんたうのさいはひは一体何だろう。」というジョバンニの問いかけに対して、「僕わからない。」と答えています。何が「わからない」のでしょうか。

自分が本当にほしいもの、相手が本当にほしいものがわからないということだと考えられます。「ほしいもの」はたくさん挙げられても、「本当にほしいもの」が何かを答えることは簡単ではありません。カムパネルラはザネリを助けるという善を行いました。命を助けられることはザネリにとってよいことです。しかし、それはザネリが本当にほしいものの一条件や一要素であっても、そのすべてではありません。ですから、私たちの幸福を構成するすべての条件、すべての要素、それらの関係構造を明らかにすることが必要なのです。カムパネルラは、自分の母に対しては折り合いをつけることができましたが、この課題を解決することはできていません。したがって「ほんたうのさいはひは一体何だろう」という問いには「わからない」と答えるほかなかったのです。

3 誰の幸せを優先するか

賢治による本当の幸福をめぐる探究に特徴的なのは、本当の幸福が、カムパネルラの母の幸福というように「特定の個人の幸福」として問題になるとともに、「みんなの幸福」として問題になることです。

「銀河鉄道の夜」では、「こんなにむなしく命をすてずどうかこの次にはまことのみんなの幸のために私のからだをおつかい下さい」と神に祈り、真っ赤な美しい星となって、みんなを照らしている蝎のエピソードが語られます。ジョバンニはそれに感銘を受けて、「僕はもうあのさそりのやうにほんたうにみんなの幸のためならば僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまはない。」という思いを抱くようになります。


さそり座

ここでいう「みんな」とは誰のことでしょうか。前回紹介した「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」(「農民芸術概論綱要」)という言葉に示されているように、すべての人間、さらには動物、植物、鉱物までも含めた「万物」というべきものでしょう。しかし「みんな」というのは個の集合であり、実際に存在しているのは「鳥飼い」や「ザネリ」のような個々の存在だけです。新しい道具やシステムを作るというように、多くの人の幸せに影響を及ぼす行為もありますが、それにしても、どの範囲の、どんな性質の人たちのためにするのかを選ぶ必要があります。誰の幸せを優先するのかが問題なのです。

誰の幸せを優先するかは、その人の素質や特性にしたがって自ずと決まると考えることもできるかもしれません。「生徒諸君に寄せる」という詩の中で、「新たな時代のマルクスよ/これらの盲目な衝動から動く世界を/素晴しく美しい構成に変へよ」というように、生徒たちに現代の問題を解決して新たな時代を作ることを求めていますが、そこで「新たな時代のマルクス」だけでなく「新らしい時代のコペルニクス」、「新らしい時代のダーウヰン」、「新たな詩人」など、さまざまなタイプに応じた課題を提示しています。それぞれの適性に応じて、この宇宙に対して何ができるのかを考え、宇宙全体の中で最適な自分の役割を探っていくことで、自分の働く場所が決まってきます。鉱物や動植物を深く愛した宮沢賢治にとっては農学と文学が適していました。岩手の農民の幸せのために生きることは、その適性を活かす道だったとも言えるでしょう。

4 トシの魂の行方を探る旅

ですが、人は集団(みんな)の幸せを本気で追い求めることができるのでしょうか。特別な誰かの幸せのためにこそ、本気になるのではないでしょうか。宮沢賢治にとっても、特別な誰かの幸せと、みんなの幸せとの関係が大きな問題となっています。彼にこの問題を深く考えさせたのは、妹トシの死でした。

トシの死をめぐる作品は、主に3つの時期に集中的に制作されました。まずは「永訣の朝」に代表される、トシの死の直後にその時の状況や賢治の感情を表現したものです(Ⅰ期)。次の段階が、「青森挽歌」に代表される、トシの魂の行方を探る樺太への旅の中での心境を表現したものです(Ⅱ期)。そして、「薤露青かいろせい」に代表される、その約1年後にトシの存在とあらためて向き合うことによって描かれたものです(Ⅲ期)。

Ⅰ期の作品群の中で、「ほんとうのさいわい」との関係で注意を引くのは、「永訣の朝」の以下の箇所です。ここでは、「雪を取ってきてほしい」というトシの願いに応えた賢治の心境が表現されています。

おまへがたべるこのふたわんのゆきに
わたくしはいまこころからいのる
どうかこれが天上のアイスクリームになつて
おまへとみんなとに聖い資糧をもたらすやうに
わたくしのすべてのさいはひをかけてねがふ

「わたくしのすべてのさいはひをかけてねがふ」という表現は、さそりの祈りを想起させます。自分の幸せを誰かの幸せのために与えるという態度です。これは、必ずしも自己犠牲を意味するわけではなく、トシの幸せが賢治の幸せになっています。ここで注目すべき点は「おまへとみんなとに聖い資糧をもたらす」という箇所です。トシの臨終間際であるにもかかわらず、「みんな」という言葉が入っていることです。ここにはやや不自然なものを感じます。

実は、印刷用原稿の時点では、この箇所は「どうかこれが天上のアイスクリームになるやうに/わたくしのすべてのさいはひをかけてねがふ」となっており、「おまへとみんなとに聖い資糧をもたらすやうに」という部分は入っていませんでした。賢治は刊行の直前にこの部分を挿入したのです。「トシの幸せだけを考えていてよいのか」という思いから修正が行われたのでしょう。

さらに刊行後の『春と修羅』への自筆手入れでは、この箇所が下記のような仏教的な色彩を帯びた表現に変えられています。

どうかこれが兜卒の天の食に変つて
やがてはおまへとみんなとに
聖い資糧をもたらすことを
わたくしのすべてのさいはひをかけてねがふ

まず、基本的な前提として、「天上のアイスクリーム」や「そつの天の食」という発想の背景には、仏教の輪廻説があります。宮沢賢治は輪廻説を信じており、トシが兜率天のような天界に生まれ変わることを願っていました。トシが最後に食べたいと願った雪が聖なるものに変わることが、トシが天界に転生することに重ねられているのです。これが、なぜ「みんなに聖い資糧をもたらす」ことになるかというと、トシの転生が、賢治とトシがともに信仰していた法華経の正しさの証明になるからでしょう。


貝葉経に描かれた兜率天の弥勒菩薩{{PD-Art}}

 

Ⅱ期の時期に書かれた詩「宗谷挽歌」では、このことが「ほんとうのさいわい」との関係で語られています。

とし子、ほんたうに私の考へてゐる通り
おまへがいま自分のことを苦にしないで行けるやうな
そんなしあはせがなくて
従って私たちの行かうとするみちが
ほんたうのものでないならば
あらんかぎり大きな勇気を出し
私の見えないちがった空間で
おまへを包むさまざまな障害を
衝きやぶって来て私に知らせてくれ。
われわれが信じわれわれの行かうとするみちが
もしまちがひであったなら
究竟の幸福にいたらないなら
いままっすぐにやって来て
私にそれを知らせて呉れ。
みんなのほんたうの幸福を求めてなら
私たちはこのまゝこのまっくらな
海に封ぜられても悔いてはいけない。

Ⅰ期の時点での賢治は、トシの死を受け止めることに精一杯でしたが、II期の時点では、トシの魂はどこに行ったのか、天界に転生できたかを気にしています。樺太までの旅は、それを確かめるために自分の心と向き合うプロセスでした。トシに幸せになっていてほしいという強い願いから生まれた行動です。この願いは当然のことのように思えますが、賢治は自分がトシのことばかりを考えていることを危険視していました。

Ⅱ期の代表的な詩である「青森挽歌」では、心の内で響く如来のような声との賢治の対話が描かれています。

⦅みんなむかしからのきやうだいなのだから
けっしてひとりをいのつてはいけない⦆

ああ わたくしはけつしてさうしませんでした
あいつがなくなってからあとのよるひる
わたくしはただの一どたりと
あいつだけがいいとこに行けばいいと
さういのりはしなかつたとおもひます

大乗仏教の世界観では、すべてのものはつながり合っており、それぞれの個の幸福が互いの幸福の条件になっています。賢治の童話にも登場する「インドラの網」というモデルでは、宝石が織りなす網の中で1つの宝石が他のすべての宝石の光を映しているという仕方で、それぞれの個の中にネットワークの全体が含まれるという構造が表現されています。また輪廻説では、すべての存在が限りない回数の輪廻を繰り返しているため、一見自分と無関係に思える人もかつての世界では兄弟だった可能性があると考えます。だから自分もトシもみんなの中の一人として捉えなければなりません。

仏教の信仰を持たない限り、輪廻説を前提に考えることは難しいですが、「インドラの網」にみられるすべてのものがネットワークをなしており、それぞれの個の中に全体が含まれているという考え方は、哲学的に納得できるものです(例えば、西田幾多郎は仏教の信仰を前提せずに、この考え方と響き合う哲学的な理論を構築しました)。さしあたり輪廻説ではなく、この考え方を前提にするなら、賢治が「ひとり」ではなく「みんな」を重視する考え方は一定の説得力を持っていると思われます。しかし賢治自身も「みんなむかしからのきやうだいなのだから/けつしてひとりをいのつてはいけない」という考えに完全に納得していたかは疑問です。やはり特別な誰かを思う心情はとても激しいものだからです。

トシの魂の行方を探る旅は、二重の仕方で挫折しました。II期の詩郡の最後に位置する「噴火湾(ノクターン)」は下記のように終わります。

ああ何べん理智が教へても
私のさびしさはなほらない
わたくしの感じないちがつた空間に
いままでここにあつた現象がうつる
それはあんまりさびしいことだ
(そのさびしいものを死といふのだ)
たとへそのちがつたきらびやかな空間で
とし子がしづかにわらはうと
わたくしのかなしみにいぢけた感情は
どうしてもどこかにかくされたとし子をおもふ

1つ目の挫折は、トシの魂がどこに行ったのかはわからなかったということです。そしてもう1つの挫折が、トシが仮に「きらびやかな空間」、つまり天界に転生したとしても、トシに対する強い感情は消えないことを自覚したことです。このようなトシへの思いは、「銀河鉄道の夜」で突然いなくなってしまったカムパネルラへのジョバンニの激情にも引き継がれているように見えます。

「カムパネルラ、僕たち一緒に行かうねえ。」ジョバンニが斯う云ひながらふりかへって見ましたらそのいままでカムパネルラの座ってゐた席にもうカムパネルラの形は見えず〔 〕ジョバンニはまるで鉄砲丸のやうに立ちあがりました。そして誰にも聞えないやうに窓の外へからだを乗り出して力いっぱいはげしく胸をうって叫びそれからもう咽喉いっぱい泣きだしました。もうそこらが一ぺんにまっくらになったように思ひました。

賢治は、自らとトシが信仰をともにする「みちづれ」という関係にあると捉えていました(「無声慟哭」)。この関係の捉え方には注意が必要です。賢治の言う「みちづれ」は、まことの道を目指すためのパートナーシップですが、彼にとっては、まことの道を目指すことよりも、むしろ「みちづれ」を獲得することの方が重要なのではないかとも訝しく思われるからです。長編詩「小岩井農場」にも示されているように、さみしさが賢治にとって根深い感情でした。農学校を追われた親友・保坂嘉内に法華経への帰依を執拗に求める手紙を繰り返し送ったのも、「みちづれ」への賢治の希求の激しさを物語っているように思います。一時期の賢治は、「みちづれ」を得るために、まことの道を利用しているようにさえ思えます。

ほんとうのみんなの幸いを目指すことと、それを一緒に目指す特別なパートナーがいること、このこと自体は両立可能です。しかしそのパートナーが自らの前を去るとき、悲しみやさみしさだけが残され、みんなの幸福を目指した活動を続けることが難しくなることがあります。賢治が直面していたのはこの問題なのです。

5 愛別離苦との向き合い方

それでは、特別な誰かがいなくなったとき、どうすればいいのでしょうか。仏教で「愛別離苦」というように、特別な誰かとの別れは避けて通れないものであり、それを無視して幸福を考えても砂上の楼閣にすぎません。

賢治の中でトシの死への態度に変化が訪れるのは、III期です。その頃、賢治は農学校の教師として充実した日々を過ごしていました。お盆が近づいたからでしょうか、1924年7月15日の日付が付された「北上川は螢気をながしィ」からはじまる無題の詩「一五八」では、賢治とトシを思わせる兄妹が描かれています。ユーモラスにたわむれる兄に対して、妹はクールに突っ込みを入れています。

(ははあ、あいつはかはせみだ
翡翠さ めだまの赤い
あゝミチア、今日もずゐぶん暑いねえ)
(何よ ミチアって)
(あいつの名だよ
ミの字はせなかのなめらかさ
チの字はくちのとがった工合
アの字はつまり愛称だな)
(マリアのアの字も愛称なの?)


カワセミ(Photo by Artemy Voikhansky

 

ここでは病床のトシではなく、元気なトシが描写されています。トシは高等女学校を首席で卒業し、日本女子大学に学んだ秀才でした。「一五八 〔北上川は螢気をながしィ〕」の先駆形は「夏幻想」というタイトルを付けられているので、岸辺でたたずんでいるときに心に浮かんだ幻影なのかもしれません。

その2日後の1924年7月17日には「薤露青」という詩が書かれています。この詩は全文を消しゴムで消された状態で発見され、研究者によって復元されたという経緯があります。全文を消しつつも紙を廃棄していないため、特別な思いが込められているのだと推察されます。内容は、日が沈み星空が広がっていく北上川の岸辺(「イギリス海岸」)で、トシについて静かに思いをめぐらすというもので、「銀河鉄道の夜」と共通するモチーフが多く見られます。


「薤露青」に登場する南十字星(Photo by Yulanlu97

この詩で特に重要なのが、下記の一節です。

……あゝ いとしくおもふものが
そのまゝどこへ行ってしまったかわからないことが
なんといふいゝことだらう……

この部分は初稿では、以下のようになっています。

……あゝ いとしくおもふものが
そのまゝどこへ行ってしまったかわからないことから
ほんたうのさいはひはひとびとにくる……

これは一体どういうことでしょうか。まず、これは賢治を樺太旅行に赴かせた「トシの魂はどこに行ったのか」という問いへの応答になっています。それは、どこに行ったのかわからないから逆によい、つまり、わからないことがほんとうの幸せの条件になることを表しています。さしあたりこのロジックを輪廻説に基づいて読み解けば、転生先がわからなければ、ありとあらゆるものに転生している可能性があるため、どんな人や物に接するときもそれを転生したトシであるかのように思うことができる、ということでしょう。

このロジック自体は、「みんなむかしからのきやうだいなのだから」というII期に出てくる考え方に含まれていたものです。しかしここでは、そこから一歩進んだ境地が示されているように思います。それを紐解く鍵は以下の一節です。

声のいゝ製糸場の工女たちが
わたくしをあざけるやうに歌って行けば
そのなかにはわたくしの亡くなった妹の声が
たしかに二つも入ってゐる

賢治は、製糸場の工女たちという、偶然通りがかった人たちの中に、トシの声を聴いているようです。しかも「二つ」というのが「二人の声」を意味するとすれば、特定の一人にトシが転生したと思ったというよりは、トシの存在感、トシのかけがえのなさが、トシという個人を越えて、別の人たちの中に見出されたということなのでしょう。単にかけがえのない個人を「みんな」の中の一人にするわけではなく、その特別な個人の面影を通して、他の人たちともつながっていく、そういう道が開かれたのではないかと思います。また、「二人の声」であるため、誰かにトシの代わりとしての役割を押し付けるような閉鎖性とは異なった境地が感じられます。抽象的な「みんな」へと向かうわけでもなく、特定の個人に執着するのでもなく、万物に開かれつつ、新しい人たちと特別な関係に入っていく、そのような方向性を示しているように感じます。

Ⅱ期の賢治は、トシはみんなの中のひとりとして、その特別性を解消することを目指していました。それに対してIII期には、トシを通してみんなとつながり、みんなを通してトシにつながる、そのような仕方で、トシの特別性を新しい仕方で認めるようになったと言えるでしょう。

賢治の悲しみが完全に癒えることはなかったと思いますが、これ以降、賢治の詩の中には、トシへの直接的言及を行うものがなくなります。賢治の中でトシへの思いはどのようなものに変わったのでしょうか。私が注目しているのは、先ほど言及した1924年7月15日に書かれた「一五八 〔北上川は螢気をながしィ〕」が改稿され、晩年の1933年7月、『岩手女性』7号に「花鳥図譜・七月・」という題で発表されていることです。「花鳥図譜」は晩年の賢治による連作詩の構想で、イーハトーヴ(賢治の心象の中の岩手)の1年間をそれぞれの月に対応する詩で描き出すものだと推定されます。賢治が、トシの面影を宿した詩を『岩手女性』という雑誌に発表したのはなぜでしょうか。トシはまだ女性の高等教育が一般的ではなかった時代に、高等女学校を首席で卒業し、日本女子大学に学び、母校の高等女学校の教諭を務めた人物でした。家父長制が根強かった時代に、その枠にとらわれない兄と妹の姿を示すことは、読者の光になると賢治は考えていたのかもしれません。トシの面影は、単なる個人の記憶から、これからの岩手を象徴するヴィジョンへと高められたとも言えるでしょう。トシという一人の個が、みんなを照らす光となるのです。

インドラの網の中で、トシを通してみんなにつながり、みんなを通してトシにつながる。「特別な誰かの幸せ」と「みんなの幸せ」との対立を越える鍵は、このつながり方にあるのではないでしょうか。

次回は、童話「虔十公園林」を手掛かりに、本当の幸せの内実に迫ります。そこでは、今回は扱わなかった「自己を愛すること」についても思索を深めていきます。

【参考文献】
●『【新】校本宮澤賢治全集』筑摩書房、1995~2009年。
●見田宗介『宮沢賢治 存在の祭りの中へ』岩波書店、2001年。
●木村東吉「「春と修羅」第二集 私註と考察(その二) : 「薤露青」」『島根大学教育学部紀要. 人文・社会科学』21-1、1987年。
●木村東吉「宮沢賢治「花鳥図譜」構想について」、『島根大学教育学部紀要. 人文・社会科学 23』23-2、1989年。
●富山英俊『挽歌と反語』せりか書房、2019年。
●後藤雄太「倫理学における宮沢賢治 : その実践と思想の現代的意義」、『ぷらくしす』21、2020年。

(つづく)