第21回
最終回
死を通して伝えたかったこと
「生きてきたように死ぬ」
当たり前のことではあるが、死はその人の生きてきた延長線上にあり、誰もがその人らしく死んでいく。死の足音が近づいてきたとき、その人の死に対する態度が予想外に見えるとしたら、それは周囲がその人を深いところで理解していなかったのだろう。私たちが人を理解していると思うとき、それは表面に現れたごく一部分だから、意図的に表に出さない部分や本人さえ気づいていない部分もあり、全面的に理解することはもとより不可能に近い。それでも、この連載で取り上げてきたように、人は自分の物語を生きる。さまざまなエピソードを散りばめながら、物語としてはある種の一貫性があり、最終章としての死もそこに位置づけられる。
それにつけても死の4日前の父の姿を思い出す。救急搬送され酸素マスクをつけている父はどこからどう見ても「病人」ではある。しかし出ない声を振り絞り、「バイタルを聞け」「杖はどうした?」と寝たままなお命令を発し続け「かくしゃくとした老人」の姿を保っていた。父らしいといえばほんとうに父らしかった。これは「家長」として生きた父が、家族に死の間際まで「見せたい自分」なのだろうと思い当たる。
そこで私は、病院に行く間隔を意識的に開けた。表向きの理由は、怒鳴り続けることの消耗を防ぐことにあった。ほどなくして、父は意識を失い危篤になった。決して早く死んでほしいという心持ちではなく、「見せている自分」から解き放たれ、周囲をコントロールすることを手放して安らかに旅立ってほしいと私は願っていた。このように、高齢者の場合、病気や衰えで死が近づいてくると、明確にそれまでの生き方が立ち現れる。
一方、障がいのある方は、老いる以前に「障がいを抱えいかに生きたか」という要素がある。かれらは自分から発信しない、あるいは発信が難しい場合も少なくないため、まだ死が遠い日常のケアの中で、これまでどう生き、この先いかに生きたいのかに焦点を当てる必要があるだろう。前述の里見さんは、どんなに時間がかかっても人の力を借りずに自分で行う、さらにはただケアされるだけでなく自分のできることを通して人の役に立つことを意識してきたように見える。
家族や血縁者との連携、支援者同士の連携
死に直面する親子は多くの場合ともに成人であり、長寿社会の現代では、子どもがすでに高齢者となっている場合も少なくない。大正、昭和の前半を生きた親にとって我が子はいくつになっても「子ども」の域を出ず、それにもとづく親子関係でもあった。企業の幹部の60歳の息子に説教している様は傍目からは奇異に映るが、親は何も矛盾を感じないし、いまさら対等の関係になることもない。ケアチームは衰えて意思表示が難しくなった親の意思を子が代弁できると考え、息子や娘に本人の意思を確認する。
しかし権限を委譲させたつもりのない本人は、口に出さずとも自分が「のけ者」になったような疎外感を味わう。そこに大きな矛盾と葛藤がある。自分のことは自分で決め家族にも口を挟ませないというそれまでの価値観を、本人が手放せなければ、家族が本人の意向を代弁することは難しい。元のままの価値観ならば、エンディングノートや「もしも手帳」はヒントにはなるが、真の意味で本人の納得にはならないだろう。たとえ衰えていても、その時点ごとの本人の意向が最大限尊重されなければならないからだ。
一方、障がいのある方にとっては、親亡き後は後見人的立場の血縁者の存在が鍵になる。現場の支援者は、この種の人々に違和感を感じがちだ。財産管理を役割と心得ているため、あたかも本人の死後の財産目当てのように見えかねない。しかしそれは生活を見守ることや死の目前の医療や介護の選択に役割があると気づいていないためかもしれない。
支援者はまず、財産管理以外に役割があることを認識してもらい、本人を交えて生活上の関わり方について話しあいの機会を持つ必要がある。もちろん本人の希望であれば、支援者が生活の見守りを全面的に担うことはできる。支援者といっても日中支援、移動支援、居住支援等数人の支援者が関わることもあり、中には人間関係が作りにくい支援者もいるだろう。要は役割分担を明確にし、刻々変わる状況について情報を共有することだ。その下地を均しておいてはじめて延命治療をどうするかの医療の差し迫った問いに血縁者は答えることができるからだ。
意思表示の難しい人の意思をどう把握するか
訪問診療に携わりながら終末期医療のあり方を模索する大井玄氏は、認知症の高齢者に胃瘻の是非を聞く調査を行っている。最初は診療所の外来や往診の場面で中等度から重度の認知機能の低下のある12人の患者に対し、家族の立ち会いの下、誘導尋問にならないように配慮しつつ胃瘻をどう思うか質問している。もちろん、「胃瘻」ということばは用いていない。
たとえば次のように問いかける。「年をとると飲み込みが悪くなりがちです。そのために肺炎を起こしたりします。そんなことは今までありませんか」「肺炎の予防として、おなかに穴を開けて管で栄養を入れるのがよいという人もいます。あなたはそういうようにされますか」といった形で体調等に関する自然なやり取りの中で問いかける工夫がされている。
大井氏によると「否定的な意向を示すとき」は即座に返答があり9人(ほぼ八割)の高齢者が、「いや」と答えたという。次に少し人数を増やし都立松沢病院の認知症病棟で70人の患者に対し同様に質問したところ、57人(81.4%)が胃瘻を否定する意思を示したという。沈黙し返事をしない返答不能者は3人、判断保留者は7人で、患者によくありがちな「先生にお任せするしかない」「医者のいうことだったら聞きます」という消極的承諾は3人だった。
これは、認知機能が衰えていない健康な高齢者の回答分布とほぼ同じだという。これについて大井氏は、あれこれ思考したあとの選択ではなく、「好き」「嫌い」の直感に由来する回答であり、信頼が置けると結論づけている。(『呆けたカントに「理性」はあるか』 第3章 認知症高齢者に是非をたずねる)
この「直感に由来する回答」という結論について、私にも思い当たる節がある。母は軽度の認知症と診断されていたが、訪問看護サービスを受けた後、突然「あの看護師は自分の都合でものを言った」と断じた。それは傍らで見ていた私も同様に感じたので、その洞察力に舌を巻いた。物事を理路整然と説明できる能力はなかったが、それは必ずしも理解していないことを示していない。
障がい者支援に当たっている人たちからも同様の印象が語られる。里見さんを支援していた桜庭さんも次のように述懐する。決められたことをきちんと行なっていない職員がいたとき、里見さんは「Aさんはこういう風にしていましたが、いいんですか」と言ってくることがあった。そういうときは必ず、桜庭さんもそのことに気づいていて「この職員に言っても仕方ないから目をつぶるか…」と自分に言い訳している時だという。「ほんとうにこちらの弱さを見透かされていたようでした」と苦笑しながら里見さんの的確な指摘に脱帽していた。
実は、この「見透かされている」というワードはしばしば障がい者支援をしている人たちから語られる。順序立てて説明できないのはよく理解していないからだと通常私たちは思う。しかし、説明できない、ことばにしないことと理解していないことは必ずしもイコールではない。第六感ということばもあるように、それはもう一段深いところで瞬時に把握する認識の仕方なのかもしれない。
障がい者の個別性を加味する
障がい者と呼ばれている人たちは、複合的な障がいを抱えている方が多い。里見さんは身体障害者手帳には、「四肢痙性麻痺」と記されている。それは医学的、包括的概念で、その障がいが原因なのか結果なのか判然としない部分もあり、個々の身体の特徴はひとり一人異なる場合が多い。
里見さんには背骨の湾曲があった。脊柱は人間の身体の土台であり、曲がっていると他の部位にも影響するが、里見さんの場合は、首と内臓のずれとして現れた。このことは体調が変化したときに、延命も含めた治療法に重大な影響を与えた。里見さんの死後、側弯があり臓器の位置がずれ内視鏡が入れられないために胃瘻を選択できないこと、同様の理由で中心静脈栄養も頸動脈を傷つけるリスクがあり難しかったと医師から告げられている。
里見さんがすでに他界された後の説明なので、もはや議論の余地はない。事業所の職員としては命が失われた時点で知った事実だった。そのために、医師、看護師が障がいある人の命を障がいのない人の命と同等にとらえなかったのではという疑念を払拭できなかった。
確かに、医師と支援者一対一では価値観の隔たりは大きい。結果論ではあるが、誤嚥性肺炎の兆候が出てきた時点で、本人、従姉妹、日中支援、居住支援の「チームとして」医療者と話し合う機会があったら、支援者のモヤモヤした気持ちはこれほど強くはなかっただろう。
高齢者支援の場で本人、家族を交えてケアチームとしての「人生会議」が強調されるのは、本人のこれまでの人生を踏まえできるだけ多角的に検討しようとする試みにほかならない。それは高齢であることで、命の終わりが近づいていることをチームが意識するからこそ設けられる話し合いの機会だろう。
障がいのある人は、年齢の区分ではなく、命の衰えがかすかに感じ取れた時点で、死に備える必要がありそれは決して忌避されるようなことではない。しかし、現実にはこのハードルはまだ高いといわざるをえない。
支援者として死生観と向き合う
「もしバナゲーム」というカードゲームがある。亀田総合病院で緩和ケアや地域・在宅医療に取り組む医師らが立ち上げた一般社団法人「iACP(アイ・エーシーピー)」が開発したカードゲームだ。ゲームの中では、重病の時や死の間際に「大事なこと」として人が口にするようなことばがカードに記されている。このカードを使い、余命半年の想定で大事にしたいことばを選ぶ。一緒にプレイする人と語り合うように設計されているため、自分自身の価値観を振り返り、アドバンス・ケア・プランニング(ACP)の一端に触れる体験にもなるようだ。
アメリカで開発されたものだが、忠実に日本語へ翻訳した上で、日本語版独自のルールが加えられている。カードの内容には、「痛みがない」「不安がない」などの一般的なものから「死生観について話せる」「尊厳が保たれる」など、やや抽象的なものもある。
このカード方式は障がい者が死について意思表示する可能性を感じさせる。障がいのある人の支援の場では、カードが用いられることが多い。自分のことばで語れなくても、カードを選択して意思を示すことは十分可能だ。
もしバナカードをもう少し簡便にしたものを、利用者の意思を確認するために使用できないだろうか。そのときなぜそれを選んだのか、聞いてみる必要もあるだろう。複雑な説明はできなくても正反対のものを並べることによって、先の認知症の人に対する調査のように即座に強い拒否感が示されれば、それだけは避けなければならないという目安にもなる。
また、複数回行うことによって、ほぼ同様の結果が得られればそこに強い意志があると確認する方法にもなるだろう。支援者が自分の価値観でよかれと思って死の形を選んでしまわないために、カードを使うことによる可能性は大きい。
わたしは15年ほどワークショップ型の死の研修を支援者に試みてきた。それぞれ体験も異なり想起するものも違うため、研修全体が重いものになり口を閉ざす、あるいは涙を流す参加者も少なくない。このもしバナゲームは重々しくなく死を語れるツールになると考え、これをワークシートにアレンジし、支援者向きの研修で使用してみた。まずは死について、大きな抵抗なく語れる場があること、自分の死生観を折に触れて体験することが狙いだった。
里見さんの死を生々しく体験した実りの里の職員も、桜庭さん同様、もう少しできることがあったのではないかという悔いを残していた。里見さんがせっかく提供してくれた死について深く考える機会に向き合うことなく日常に戻ってしまわないことを私は願っていた。そこで、職員全員で「分かち合いの会」を持つことを提案した。特にルールがあるわけではなく、言いっ放し聞きっぱなしで死に対する思いを各自語り、場を共有できればいいと説明した。
桜庭さんによれば、若い職員も臆したり感情に流されたりせずに、率直に思いを述べたという。このように現場で死について語る場を設けることが第一歩となる。ゆくゆくディスカッションができ、デススタディとなればなおよいが、まずは、感情を吐露することで、自分の死生観に気づくところから始めたい。里見さんに対してはできることはもうなくても、死について語ることは自分の死生観に気づくことであり、他者の死生観から学ぶことでもある。
このようにして、利用者は最期まで学びの機会を提供してくれる。「支援されるだけの存在ではない自分」を大切にして生きてきた里見さんだから、最期まで職員に自分の身を挺して学びの機会を与えてくれたように思えてならない。
(了)