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ピンピンコロリが望まれる背景

PPKと老衰死

理想の死に方として、PPKすなわちピンピンコロリがよく話題になる。できるだけ要介護にならず、周囲や家族に迷惑をかけず苦しまずに死ぬことだという。そもそもの発端は、長寿県の長野で1980年代に健康長寿体操として「ピンピンコロリ運動」が発案されたことにあるらしい。その後2000年代初頭には、県内の佐久市に「ぴんころ地蔵」なるものが立てられたというから、長患いせずに死ぬことへの願望は今に始まったことではない。

さまざまな調査では、心筋梗塞などで突然死することを理想の死に方として挙げる高齢者は多い。根底には、平均寿命近くまで長生きするという前提がある。その証拠に、50代、60代での心臓死はPPKとは言わない。2019年の平均寿命は男性81.41歳、女性、87.45歳であるが、その辺りまで生きた上でのPPKと言える。年を取れば認知症になる、あるいは身体が意のままにならなくなる割合は高まるが、それによってよりよく生きられなくなると思うからこそPPKを望むといえる。

一方、老衰が死因に登場するのは75歳以降だが、2018年にはそれまでの脳血管疾患と入れ替わり死因の第3位に浮上している。老衰死は、徐々に衰えが進んだうえでの死なので、認知症や身体機能の低下が引きおこされ、要介護状態を通らざるを得ない。PPKを願う人が多い背景には、平均寿命と健康寿命の差がなかなか縮まらないことがある。男性で約9年、女性では12年以上の差があり、自力での生活が難しくなることが増える。特に最後の3年くらいは、歩くことが不自由になる、さまざまな機能が低下するなどQOLの低下が起きる。この思い通りにならない時期を過ごす高齢者を自分の間近に見ると、「自分はあのようにはなりたくない」と身につまされる人が多いのだろう。

このように、PPKには、「衰える過程を体験したくない」「自宅で死にたい」「家族に迷惑をかけたくない」という3つの要素が含まれている。この期間、自力ですべてに対応することは難しいので、家族が何らかの形で関与することになる。介護施設に入所していれば、家族の都合に合わせて訪問できる。しかし自宅では、保険型のシステムなので、介護サービスを使ったとしても突発的に起きる事態には対応できない。時間をやりくりし対応するのは、結局、家族ということになる。終末期医療の調査では、「死に場所の希望」として真っ先に自宅が選ばれるが、いざ現実的選択となると、高齢者は希望とは裏腹に病院や施設を選ぶ。「自宅で死にたい」しかし「家族には迷惑をかけたくない」という両立しない希望を、一気に解決する死に方がPPKと考えられている。

PPKの起きる場所

PPKは多くの場合自宅で起きる。外出先でも起こりうるが、入浴中も含め自宅の場合が圧倒的に多い。自宅での突然死は死ぬ人にとっては望む形かもしれないが、残された人には大きな混乱をもたらす。前回の竹田さんの死から明らかなように、多くの場合、「不審死」として警察が介入する。警察としては自殺や他殺の可能性を排除する必要があるからだ。仮に高齢者が呼吸していないと気づいたとしても、医療者ではない家族は簡単にそれを認められない。ほぼ例外なく救急隊に出動を要請する。しかし救急隊の使命は命を救うことにあるので、救命できないことがはっきりしている場合、直近に医師がかかわっていないと、警察に連絡する。

つい先日そのような光景を近隣で目撃したが、自宅周辺に救急車、パトカーが数台駐車し事件性を感じさせ、ものものしい雰囲気となる。日本では死因究明制度が脆弱で、死亡者の解剖率は2%に過ぎないというから、多くの場合は鑑識課の事情聴取で済んでいるのだろう。しかし家族は突然死なれた上に、警察から微に入り細を穿ってあれこれ尋ねられる二重の苦しみを体験することになる。このように、本人は衰える過程を体験せず自宅で死ねたとしても、肝心の家族に「迷惑をかけない」という点は、看取られる形の死よりはるかに大きいのではないだろうか。

「迷惑」と「負担」

かつて「死生観とソーシャルワーク」という科目を大学で担当した際、学生に2つの側面から考えてもらったことがある。ひとつは、自分がALSに罹患し自宅で生活する中で、人工呼吸器をつけないと生きられないと宣告されたと仮定し、あなた自身は人工呼吸器をつけるかの問いだった。大多数の学生は、そのような状態で生き続けることは望まない、自分も苦痛であるし家族にも迷惑をかけるからと答えた。社会には、人工呼吸器をつけ介護を受けても、日々懸命に生きている方々は決して少なくない。しかし、まだ20年余りしか生きていない健康な学生は、機械の力を借りて生きる自分の姿が想像できないのかもしれない。

少し時間を空けて、今度は別の角度から質問してみた。自分の親が末期がんで食事を摂取することが難しくなり、胃瘻をつけないと命を長らえることはできないと宣告された。かねてから親は延命しないでほしいと意思表示しているが、あなたはどうするかという問いだが、今度は多くの学生が胃瘻をつけると答えた。「自分の場合は延命を拒否し、家族の場合は意向には沿わずに延命するのはなぜか」とさらに問いかけた。

私たち日本人は幼い時から「人に迷惑をかけないこと」が大事だと教えられて育つ。相手にとって大変なことは迷惑をかけることだと思い込む。その際、いちいち相手の意向を確認しない。阿吽の呼吸の家族ならなおさらのことだ。

しかし、家族はほんとうに迷惑なのだろうか? 私も両親のケアに10年ほど携わり、かなり時間を取られたので「負担」ではあった。しかしそれを「迷惑」と考えたことは一度もなかった。「迷惑」にはそれを嫌に思い、そこから逃れたいという感情が含まれるが、「負担感」はもっとドライなもので、どうしたらそれを減らせるかを考える。実際、両親に対しては、介護保険だけでなく介護保険外のサービスも次々と使い負担を軽くしようと試みたが、そこに「後ろめたさ」はなかった。親の状態に最大の関心を払っていて、片手間にケアしているわけではないという自負もあった。おそらく私は、「家族だからケアするのが当たり前」という外側の価値観からは解放されていたのだと思う。

家族のかかわり方はその世帯ごとにふさわしいスタイルを選択でき、直接手を下さずマネジメントする形もあると考えていた。重要なことは、最晩年の高齢者の家族が、のちに振り返ってその時できる精いっぱいのことをしたと思えることだ。そして、ケアの仕方、看取り方は、親が意識するかどうかはともかく、次世代への伝承であり、教育なのではないかと思う。PPKはあまりにも突然で、残念ながら、その実感を家族が得る隙はない。

「その人らしさ」を全うするために

家族は生活を共にする共同体で、雑事の中で紡がれる関係でもある。ともすれば、血がつながっているのだから、わざわざことばにしなくても理解できると考えてしまう。しかし、血のつながりは同質の価値観を共有しやすいとは言えても、理解を促進するとは言えないのではないか。生き方はいろいろな体験によって強化され、また更新される。大人になれば親の知らない様々な体験から学ぶことは多い。体験から何を得たかは、他者にことばにすることで初めて伝わり了解可能となるが、親に語らない子どもも多いだろうし、親の側も同様だろう。

私も親の他界後、生活の好みや傾向は把握していても、核となる考え方や生き方について、深く理解しているとは言えないことに愕然とした。一体、彼らは自分の人生をどう考え、どう生きたいと希求したのだろうか。そういう問いに確信をもってこたえられなかった。決してコミュニケーションの取れない家族ではなかったが、「そもそもどう生きるか」などという話題は大上段過ぎて、生活の中で話題に上ることもなかった。

しかし、人生の総括である死の時こそ、その人らしさは貫かれなければならないだろう。衰えが進めば、意を対して家族が準備することが増えるのだから、家族の間で本人の意思を明確に理解している必要がある。今日、終末期の医療の選択に関する話し合いの必要性が強調されている。しかし、ことは医療の選択にとどまらない。自分の物語をどう総括するのかという大枠の一部分として、医療との向き合い方があるからだ。特に気力、体力の衰える終末期に本人が意思表示できなくなれば、どんな状態であっても生きていてほしいという家族の切なる願いが勝り、死に対する本人の意思は簡単に覆る可能性がある。

前回登場した竹田さんの娘さんの柴田さんとは、その後、何回か手紙でやり取りした。柴田さんは周囲から、「苦しまずに済んで理想的な死に方だったのではないか」と慰めのことばをかけてもらったという。しかし末尾には「せめて1週間介護させてほしかった」と記されていた。印刷された文章なので直接声は聞こえないが、おそらく直に聞けば絞り出すようなことばだったのではないかと思う。竹田さんはあれだけ死について考え準備する人だったから、死に方は選べなかったとしても、そろそろ死を迎えるころと漠然と考えていただろう。洞察力の鋭い人でもあったから、その数か月後の「新型コロナウイルス感染症の社会」を深いところで予見していたかもしれない。それを本人に問うことはもはやできない。残された家族は、あまりにも突然の別れに気持ちの整理のつかないまま、もう少し何かできたのではないかと日々自問自答を繰り返しながら、「不在」の中で生きていかなければならないのだった。

 

(つづく)