自分の物語を閉じる

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物語を閉じようと決意するとき

社会的死から自死へ

死を選択する意思が本人から発せられたものと考えると、「自死」というくくりは拡大する。自殺も、安楽死(消極的、積極的含め)も大きな括り方をすれば、実はここに位置付けられるのではないかと思う。これに例えば服薬の中止を含め、輸血をしない決断をした佐々木さんのように、治療方針を意識的に選択し死に至ることまで含めて、「自ら物語を閉じる」とした。自殺は自らの手で実行するが、その他は決定のプロセスに本人が深く関与しているからだ。

平成30年度の人口動態調査の死亡のうち自殺についてみると、85歳以上の高齢者の自殺は1000余人と決して少なくはない。95歳から99歳は61人、100歳以上でも12人の方が自ら命を絶っている。掲げられているのは数字だけで詳細はわからないが、この中には、昨今の報道でよく目にするように、介護疲れで無理心中する場合もあれば、親亡き後、何らかの障害を抱えあるいは引きこもっている子の行く末を案じ、子どもを殺めた後に自ら命を絶つことなども含まれているだろう。

しかし、未必の故意、たとえば衰えがさほど進んでいない時に意図的に飲食を減らしたり、治療の必要な病気の医療を放棄したり、溺死など直接的な死因があって自殺かどうか断定できないものは含まれていない。そのため、実際はもっと多くの自死が存在するとみていいのだろう。自死に至る経過として考えられるのは、「肉体的な死」以前に、つながりが断たれる、居場所を失うなどの「社会的な死」が存在する場合が多いのではないか。

断食による死

ここで、一つの形としての断食について考えてみたい。老衰の時期は、生命欲低下の当然の帰結として食への意欲も減退していく。しかし、食べたい気持ちがまだあるとき、その欲求との戦いは僧職の修行のように、並大抵のことでは突破できないようだ。

この断食による自死を企図した小説家、木谷恭介氏の『死にたい老人』と題されたルポルタージュがある。妻と別れひとり暮らしの木谷氏は83歳の時、生活するために仕事をするのは意味がないと思い始める。小説家として生活するためには、お手伝いさんやアシスタントを雇わなければならず、彼らの支払いの対価の分を稼ぐことが必要になる。しかしそれは木谷氏にとって「役割」とは言えない。自分のためではなく、他者に役立っている実感が伴ってこそ役割と認識しているからだ。やがて、不特定多数の読者に向けて自分の死を書くことに小説家としての役割を見出し、断食を試みる。もちろん理由はそれだけではない。死の決行の計画は、スケージュールが立てやすい。むしろ生きることは予期せぬ難問が次々押し寄せ、途方に暮れることの方が多いことも理由となっている。

しかし、1回目は構想のみで終わり、2回目は38日で断念し、3回目は9日目で挫折する。その顛末を死の観察記録として執筆するのだが、3回目の途上で血圧と心拍が常になく上昇したことで、死の恐怖を感じるようになる。そして身体が老衰の時期を迎えていない、いわば「機の熟していない時の断食」には悟りが必要なこと、悟り抜きで断食に入ると無意識に逃げ道を作り出してしまうことを身をもって体験したと振り返っている。他者を介在させると断食を止められるため、決行は一人部屋に閉じこもって行われていた。後に死の記録を出版してもらうという漠然とした意図はあっても、伴走する人のいない孤独な闘いだった。ちなみに木谷氏はそれから数年後、もともとの持病、心不全で死去している。

明け渡すこと

では、死を恐れていなければ、心穏やかに死に向かって生きることはできるのか?

思い浮かぶのは、死の研究第一人者のエリザベス・キューブラー・ロスの最晩年の姿だ。ロスは1995年に脳梗塞に見舞われ左半身麻痺となる。2004年に自宅で亡くなったが、闘病は8年以上に及んだ。死にゆく人々、特に子供たちとのインタビューを通して、ロスは死後の生を信じるようになり、『死後の真実』という著作もある。

著作でもインタビューでも、一貫して「死ぬことは怖くない」と述べている。しかし、「40年間も神に仕える仕事をしてきて やっと引退しようと思ったら 脳卒中で何にもできなくなってしまった」と述べ、病を抱えながら生き続ける理不尽さ、自分の体でありながら自分の意のままにできず、人生に主体的に関与できないことへの苛立ちを見せている。死の受容5段階説の提唱者だから、一部には、死を受容しきれず怒りの段階にとどまっているという見方もされた。しかし、著作で示された彼女の答えは次のようなものだった。

神は痛烈だった。脳卒中で倒れても、私の頭脳は明晰だった。試練の中でレッスンを教えよと神は言われた。左半身は不随になったが、わたしはまだしゃべることができ、かんがえることができた。(中略)うけとることを、ありがとうということを、私は学ばなければならない。忍耐と明け渡しを学ばなければならない。若いころからずっと、与えることばかりで、受け取ることを学んでこなかった。愛を受け、世話を受け、介護するよりされることを学ぶ。それが私のレッスンだ。

       ――『ライフレッスン』第12章「明け渡しのレッスン」より

老いのプロセスをたどることは、死に向けて不可欠であるように見える。「明け渡し」ということばは、コントロールできないこと、人間の力ではどうにもできないことがあると認めることを指しているのだろう。

今日も巷には老化を防ごうとする薬やサプリメントがあふれかえっている。健康寿命を少しでも延ばそうとし、アンチエイジングをひたすら強調するこの社会は、結果として老いのプロセスを否定する。たとえば病気になり生命が危ぶまれるなどの事態が起きれば、本人、そして家族はある程度覚悟を決めることになる。高齢になるということは、そのようなプロセスを否応なく通り、覚悟を迫られることともいえる。

しかしこの社会には能力主義的価値観が蔓延し、自尊心の高い人が少しでも忘れっぽくなると認知症になったとおびえ、身体が動かなくなるとそれだけで「病気」だと思い、治療する薬を求める。からだを支配し、いのちを操作して、自分の力で生きていると思う、それが死を否定し死に対する不安を、ことさら煽っていることにそろそろ気づくべき時なのかもしれない。


エリザベス・キューブラー・ロス『ライフ・レッスン』(角川文庫)

生かされている「命」

生来健康であるいは本人が健康管理を怠らず、老いのプロセスを経ずに年を重ねることもないとは言えないだろう。すると、都市部では突然、死が姿を現す。都市部と書いたのは、漁村や農村では別の体験によって人生に立ち向かうことの限界を、知らしめられるからだ。

昔から、漁業を生業とする人たちの間では「板子一枚、下は地獄」と言われてきた。小さな舟に乗って海に出れば、どのような困難に出会うかわからない、海が荒れれば即、命の危険に遭遇することを示唆している。また、農作物はその年の天候によって収穫量が大きく左右される。農業を営む人たちはそれを経験として知っている。植物の育ちに水が欠かせないが、一滴の雨さえ広大な大地に降らせることはできず、私たちは気候に関して無力と言わざるを得ない。だからこそ儀式や祭りの中で「五穀豊穣」がたびたび祈願されてきたのだろう。

人間の命に関しても同様のことが言えるのではないか。自分は主体的に生きていると思っているが、実は人間の力を超えたものによって生かされている。それは誰にも証明できることではない。エビデンスや能力主義的価値観から遠いところにある視点かもしれない。

まずは、自力でなんとかできることと自分ではどうしようもないものを見分けることから始めるしかないだろう。努力を放棄するわけではない。やれるだけのことは精いっぱいやるが、そこに執着すること、結果を追い求めることを手放していく。それしか不安や恐怖から逃れる道はないように見える。宗教で言えば「悟り」の境地だろうが、明確な宗教を持たなくても、人間存在を超えるものがあるという気づきよって可能なのではないかと思う。

AAと呼ばれるアルコール依存症者の自助グループの祈りの中に次のような一節がある。

神よ、変えることのできないものを静穏に受け入れる力を与えてください。
変えるべきものを変える勇気を、そして、変えられないものと変えるべきものを区別する賢さを与えて下さい。(ラインホルド・二ーバー)

生老病死の中の老と病は、死に向かう過程で起きてくる。老いていく、病気を体験する中で、否応なくそれまでの「自己」を放棄し、余分なものが取り払われ、純粋にただ生きていくだけの自分に収斂するのは、皮肉なようでいて、天の配剤と言えるのかもしれない。

 

(つづく)

しばらく休載となります。